教育施設を視察する。~輪内中学校~
輪内中学校の学舎は、左から体育館、本校舎(3階建て)、特別教室(工作、調理室等)と県道中山線(高速道路賀田インターへ続く)側から並んでいます。
昭和22年5月に賀田、古江、曽根、梶賀を学区に南牟婁郡南輪内村立南輪内村中学校として創立されています。その後の昭和25年6月に三木浦生が通学を開始しています。
昭和29年6月尾鷲市の誕生とともに市立南輪内中学校に、そして昭和37年7月南輪内中学校と北輪内中学校三木浦分校を統合して輪内中学校を改称しています。
昭和39年4月に現在の新校舎へ移転し、昭和40年5月から小生ら三木浦生がバスの通学を始めています。小生、統合の一期生で翌年完成した体育館で卒業式をしていただいております。当時はA~D組までで約160名の同級生がいました。
その輪内中学校の校舎は耐震検査の結果、改築を要することになり3代の市長により検討され議会へ計画が報告され、尾鷲小学校の整備が予算化され輪内中学校も設計費が第1回定例会(3月議会)で計上され進みつつあります。
当然、3月11日の東日本大震災の大津波被災から、この場所への学校整備に対するあらゆる検討面から、生活文教常任委員会と教育委員会との懇談会において、教育委員さんに「大津波についての議論は?見直す必要があるのではないですか?」と質問を投げかけたところ明確なと答弁をするものもいず、結果はPTA会員や学校区の地区住民との懇談会を踏まえ最終的な結論を出すとのことで、その懇談会が一昨日行われ23日に教育委員会が開催されるようである。
以前から、賀田地区における小中学校一貫校などの話題はあるものの、輪内中学校の賀田地区から他の地区への移転等については議会においては議論など一切無いものの、地域の民生委員さん等が岩田市長に小中学校のあり方を提言しているようで、小生、この提言書については数日前に知ることになった。
この間、尾鷲市で緊急防災講演会を開催した片田敏孝教授等の意見を聞いたり、防災講演会の内容で津波に対する認識等も多くの方が得ている。
現校舎側の法面の段々畑は私有地のようであるが、線路よりの桜の木がある法面は上の道路まで市が有する敷地のようである。
かつてはこのベランダに鈴なり・・・と表現するほど休み時間には生徒が屯していた。
防災用のヘルメットなども備え付けられている。
特別教室
耐震に不安がある中で、少し前には、乳児を含む南輪内保育園が間借りしていたこともある。いつ来るか分からないが耐震にも津波にも強い学校づくりは当然のことである。
小生、東日本大震災の映像やテレビの特別番組を見るにつれ、まず、梶賀から九鬼までの学校区から通学していることから、耐震化はもとより津波時には生徒自らが身を守る・・・、少なくても保護者との離れ離れからの不安を持たせないことや、学校が被災するとまちの復興における拠点としての役割が果たせない。この学校(校舎)が被災するか否かで、子どもらの教育がいち早く体制を取り戻せるかに関わり、そういったことからも大事な位置を占める。また、まちの家屋が多く被災した場合仮住まいの役割をすることが多い・・・など、クローズアップされている。
輪内中学校の改築においても、大津波の脅威も含め可能な限りの安全と安心が確保でききるような結論を望みたい。
校舎の損傷具合は、このあとに視察した補強対象となっている宮之上小学校の方が目立ったように感じた。
Photo:Panasonic DMC-LX3
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by mikikazu0802 | 2011-05-21 13:02 | ミキカズの活動日記