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須賀利、曹洞宗/普済寺は国宝、それとも重要文化財では・・・

須賀利は、江戸時代には江戸~大坂間を往来する廻船の風待ち港として栄えた。
 明治時代には桑名から「赤須賀船」と呼ばれる日用品を積載した船が来航したため、須賀利から出ずとも楽に生活ができた。
 1915年(大正4年)、須賀利巡航船が運航を開始する。
 1982年(昭和57年)、県道開通により自動車での往来が可能となる。

 町名の由来については、『紀伊続風土記』によると、伊勢神宮内宮の神宝の須賀利御太刀にちなむとされる。
 この説は須賀利が伊勢神宮領の須賀利御厨であったことからも有力視されている。須賀とは「砂州」のことであり、須賀利海岸の砂浜を指しているという説もあるようだ。

 町の中央高台に、曹洞宗/普済寺はある。

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 この須賀利はその昔(平安時代)山の向こうの”元須賀利”という地から、何人かの人々が移り住んで来た。
 ここは良い場所だと、人々は漁業で豊かな暮らしを続けてきたが、ところが江戸時代、須賀利で飢饉や疫病が発生したことから、多くの人が命を落とす中、この地を離れようと言うものもいたが、ここに神社とお寺を造り祀ることでこの危機を沈めようとし、このお寺が創建(1624)されたとのことである。

 その時の大工は、「竹中工務店」の祖、尾州名護屋の竹中和尚である。

 ここで余談ですが・・・、「織田信長に普請奉行として禄800石で仕えていた竹中藤兵衛正高が竹中工務店の創始者で、かの大軍師竹中半兵衛の身内であり、本能寺から脱出した家臣のひとりと聞いたことがある。」との記述もあります。

須賀利、曹洞宗/普済寺は国宝、それとも重要文化財では・・・_a0196709_7554180.gif そこで、竹中つながり・・・、竹中半兵衛の家紋「丸に九枚笹」です。我が家の家紋も同じです。
 清和源氏の流れをくむ家紋で、それ以外のつながりはないものの、牧野住職に話すと「分からないですよ・・・」と合いの手を入れてくれた。

 あくまで、歴史認識の中での余談として会話を楽しんだのだった。

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 ご住職の牧野さんに声をかけると、本堂で何やら作業をしていたようであったが、手を休め我々の相手をしてくれた。

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 この細工には、菊の紋が・・・

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 正面には龍が・・・

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 インドの寺院でよく出てくる像の・・・

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 獅子の彫り物の後ろ側(下)には、名工として名高い瀬川治助重光の焼印が・・・

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 波兎・・・、因幡の白兎の伝説とも関係があるのか?

 煌びやかさはないものの細工では、徳川家康を祀る日光の東照宮のそれと遜色ないほど名工の手によるものと分かる。やはり、伊勢神宮との関わりからか、この見事さは・・・

 竹中和尚は、現在の大手建設業「竹中工務店」の祖となる大工で尾州名護屋を拠点として三重県では、鳥羽青峰の正福寺金堂、山門などを手掛けた。

 また彫刻は、瀬川治助重光、初代の瀬川重定の息子で、白木彫り込んだ精緻な作風が特徴で、その作例は亀崎潮干祭の宮本車、鳴海祭表方の山車、挙母祭南町と喜多の山車、豊田市高橋町の山車、岡崎町矢作町の山車、大四日市祭の鯨船明神丸など非常に多い。
 知る人の知る当時の名工と言われている。
 瀬川治助重光(二代目瀬川重助/1819~1988)    【資料 須賀利紀行】


 このあと、本堂等へ入れていただく。

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 聖観音菩薩坐像などで有名なお寺でもある。

 本堂の入り口から入ったところである。牧野住職は写真撮影を許可してくれたが本堂は須賀利の方々の菩提・・・ということで撮影していません。

 その代わりといえば何なのだが・・・、奥へ。

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 さらに奥へ・・・

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 ここには、中央に大衆の病苦や救治を誓った左手に薬壷を持っている薬師如来(薬師瑠璃光如来)、向かって右に家やかまどの守護神である青面金剛、左に国土を守り、国難を除き災害を滅却、人々の福寿を増益する妙見菩薩が祭られていた。

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 400年以上の歴史を持つ仏さまを拝観させていただいた。ありがたいこと・・・

 帰り際、境内を見渡すと「大池を天然記念物に」の新聞記事を見て津市から来たというご夫妻がスケッチをしてた。元須賀利までは船・・・ということで、日本の里100選『須賀利』を普済寺から楽しんでいた。

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 お寺の境内から見る須賀利の町並みと須賀利港。

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 春の気配を感じながら帰路・・・


 それにしても、須賀利の普済寺には国宝級・・・、いや重要文化財・・・にも値するようなものがたくさんあった。



Photo:SONY α55

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  by mikikazu0802 | 2011-02-26 21:25 | 尾鷲よいとこ四方八方

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