平成23年尾鷲ヤーヤ祭も最終日のお楽しみは、林町から旧熊野街道を尾鷲神社へ上る3祷務町の大名行列や手伝い町の道中手踊りである。
道中手踊りは、あくまで【フォト・ザ・新町】なのである。
この車両1台が通りかねるような道路を挟んで黒潮道路までの対面同士家屋(その裏側もあるが・・・)が新町の住民のほとんどである。
以前の祭りは、必ず浜籐と呼ばれる土井家(北町)で顔見世を行ない、高町を通り抜け新町から大名行列や手踊りの披露が行なわれ、見物人の多くがこの沿道にならんだもので、祭りのあとの掃除に町内の人々が借り出されるくらい大賑わいをしていた。
今は、ハヤシの角と呼ばれる旧熊野街道からスタートしている。
旧家などもあり風情のある場所だが、石淵薬局で全町が顔見世を行なう。
この道中では、紀望通りと交差する信号まで、どの町ものらりくらりが特長である。
やっと、信号を渡る・・・
道中で突然声をかけられる・・・、孫1号が現る。
小さくて静かな町在住なので、この賑やかさに少し圧倒されているのか・・・
いつもよりおとなしい・・・、大海を見いよらなあかん。
大は小を兼ねるが・・・、その反対には無理がある。
ここから、魚鉄商店、はし佐商店、そして尾鷲観光物産協会の前や馬越屋辺りまで賑やかである。
もう限界のようである・・・、踊りと人ごみに疲れたのだろう。
子どもも大変である。
ここらでは、余り休憩を取らず見物人のいる限り踊り続けるのがコツである。
ここは、はし佐商店や少年センターの本部、それに手踊りを指導する坂東流柳蛙会の会主さんが見守るなど、熱の入った踊りを見せるところです。
今日は土曜日で、天候も良かったのでまぁまぁの人出・・・、余り移動をしないのでわからないが・・・
この道中手踊りも北川橋が見えてくと、みんなが「もう少しや頑張れ!」と子どもらに声をかける。
これから、尾鷲神社へ・・・ いよいよ、最後の手踊りとなります。
手踊りの出来は、・・・ まぁ、一生懸命さと楽しさが大事です。その気持ちを氏神様に奉納します。
これで新町の手踊りは終わりました。楽しさと快い疲れが達成感となる。
小生、30才代の町頭長などを務めた時期は楽しい手踊りをと、それはそれは楽曲から衣装にいたるまで昼夜に関係なく用意し、みんなが楽しむことに自身も楽しんでいたように思う。
ヤーヤ祭は、時代の移り変わりにより子どもらの遊びが変化し、そのことにより祭りにたずさわるものが減少したことがある。神社総代会による改革を得ての現在の方向や教育における総合学習など、ふるさとの原風景を理解するものが増えてきたように思う・・・が、ここ20年来、手踊りは尾鷲節のみでいいように考えることがある。
何故なら、尾鷲節を素材として、唄、踊り、そして伴奏の笛、三味線、太鼓等を身に付けることこそが、外に出た時の武器になるからである。
20町がその町の尾鷲節(テープやCDは使用しない)を創ればいいと思うし、そのことが郷土の伝統芸能である尾鷲節の保存と承継、そして後継者の育成となる大きな意味合いがあるからだ。
このスケール感は、観光などこれらの産業興しである6次産業化など、対外的には宣伝的に大きな意味合いがあり、多様性でも多くの効果を持たらすことが期待でき、尾鷲という情緒的な面での戦力となるからである。小生らは、北海道の江差追分やドジョウすくいで有名な安来節やのような郷土民謡によるまちづくりを行なっているところに接したことがあるから感じるのである。
町をあげて取り組み、町をあげて民の自慢のものとする心意気が、戦略となるように思う。尾鷲市民にとって、ありふれたことではあるが単純なことほど大きく広がる要素を持つ・・・
春先の穏やかな天候に恵まれた大名行列や道中手踊りは、事前に大名行列や踊り子数の報告が8百数十名とあったが、町頭等を加えればその数をはるかに上回っていたようである。
扉開きや在周り、それに5日の夜宮などの参加人数は増えているように感じる。あとは、氏子(市民)挙って楽しむ・・・のが、年に一度の祭り本来の姿である。
Photo:Panasonic DMC-LX3
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